午前中は、「さたけ通信」を持って市内をご挨拶に伺いました。
午前中は、「さたけ通信」を持って市内をご挨拶に伺いました。午後、市役所で用事を済ませた後、東大和市郷土博物館へ行きました。先日、戦災遺跡の講演会がありましたが、それに関連した戦後70年企画展示「私たちのまちは戦場だった」を開催中で、遅ればせながら見学致しました。市のホームページに「戦争や戦時中の生活に関する収蔵資料や市民の方がお持ちの資料を展示します。また、市内の変電所を中心に、全国に残る戦争や空襲の痕跡を紹介します。」とある通り、東大和市の戦災建造物である「旧日立航空機変電所」の詳しい紹介共に、当時鋳造された貨幣を展示し、以下に貨幣価値が下がって庶民の生活が苦しくなったか、また出征者への千人針や、多摩地域の戦災遺跡の紹介などがされていました。
多摩地域は、ともすれば当時学童疎開を受け入れていた地域だったので比較的安全だったのかと錯覚しがちかもしれませんが、展示を見るとアメリカ軍からは軍需工場の拠点として、空襲すべき地域だったことが分かります。
我が地域にも戦争の爪痕はしっかりと残されています。こうした事実を未来の世代にもきちんと継承していかなくてはならない、と改めて思いました。