今日は、「東京大空襲の日」です。昭和20年3月10日、アメリカ軍による大規模な空襲が行われ、死者・行方不明者が10万人以上も出る大惨事でした。広島や長崎への原爆投下による犠牲者にも匹敵するような数です。東京都では、平成2年に「戦争の惨禍を再び繰り返さないことを誓い、『東京都平和の日条例』を制定し、3月10日を『東京都平和の日』」と定めています(東京都ホームページより)。犠牲者の方のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。

戦争は、私にとって親の世代の話です。
私の父は、昭和15年生まれ。祖父は幼い父と妻を残して中国大陸の戦線に召集され、昭和20年に彼の地で戦死。骨壷には石ころしか入っていなかったそうです。祖母は戦中に癌に侵され20代半ばで病死。父は戦災孤児として、曾祖母に引き取られ育てられました。戦後、曾祖母と兵庫県の山奥で暮らしていたときのこと。戦争から帰ってきた男たちが山仕事のため父の家に宿泊した夜、「俺は大陸で何人殺した」などと自慢話のように平気で話していたそうです。父は自分の父親のこと思い、「本当に嫌な思いがした」と、生前私に語ってくれました。
私の母は、戦時中には家族と満州国(現中国東北地方)で暮らしていました。ロシアとの国境に近い場所だったそうで、冬は川が凍るほど寒かったそうです。戦争終結前後には、ソ連軍が攻めてきたこともよく覚えていて、夜中に見た機関銃の火花やソ連兵がドアを激しく叩く音、女性の叫び声などが忘れられないそうです。昭和22年に引き揚げてきたようですが、戻ってくるとき乗車した列車からは、線路際に置き去りにされた小さな子供たちの姿が見え、残留孤児の方たちが日本に来るたびに「他人事と思えない」といつも口にしていました。
両親からは戦争の悲惨さを繰り返し聞かされ、「戦争は絶対にしてはならないし、あってはならない」とよく諭されたものでした。子供の頃に、日本国憲法の「戦争放棄」「平和主義」の理念を学んだときは、素晴らしいものだと感心したことを覚えています。

現在でも世界では戦争が絶えませんが、平和な社会と世界の構築へ向け、希望を捨てずに平和を望む多くの方たちと共に一歩一歩前進してまいりたい。両親が私に語って聞かせてくれたことを、私も自分の子供へ語り継いでいきたいと思います。

コメント

この記事へのコメントはありません。

コメントする


※メールアドレスは公開されません。