老婦人に
今日お会いした老婦人の方は、寝たままで起き上がれない状態でした。しかし、しっかりしたお声で「頑張らなきゃね」と励ましていただきました。胸の熱くなる激励をいただきました。
こうした方々のためにも、元気一杯に頑張ってまいります。
今日お会いした老婦人の方は、寝たままで起き上がれない状態でした。しかし、しっかりしたお声で「頑張らなきゃね」と励ましていただきました。胸の熱くなる激励をいただきました。
こうした方々のためにも、元気一杯に頑張ってまいります。
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以前ある集まりで偉い人が発言していました。
「わが家に体の不自由な人がいないのは、過去世の行いがよかったからだ…」と。
人の上に立つ人が、どんなにパフォーマンスよろしく、人々の尊敬をあつめても、心根がコレでは駄目だと落胆したことを思い出します。
私は佐竹さんの「一人を大事にする心」と、真実の行動を信じて応援します。
寒いなか毎日お疲れ様です。
コメントありがとうございます。
その「偉い人」の発言は、非常に残念ですね。
私が大変お世話になった尊敬する先輩は、そうした考え方をする人が大嫌いでした。「そこに慈悲はあるのか?」と憤っていたのを思い出します。
体がご不自由でも、多くの人に尊敬される生き方をされている方々がいらっしゃいます。家族も絆を深め、愛情深く暮らしていらっしゃる場合も多いのです。
健康か不健康か、自由か不自由かといったひとつの基準で人を差別して見るような見方は厳に慎まなければいけませんね。
ともすれば、差別することで人より優位に立ち安心したがる人間の心の弱さに、自分自身も含めて十分に注意する必要があります。
ガンジーが、カースト制度の下に置かれて差別されていた不可触賎民の人々をハリジャン(神の子)と呼んだのと同じ心に立っていきたいものです。